かなやゆきひで行政書士事務所

調布・狛江・三鷹地区の行政書士事務所です。お気軽にご相談下さい。


PROFILE

幼少時代

1970年(昭和45年)東京荒川区で生まれました。3人兄弟の末っ子です。幼稚園は年長の1年間しか行かなかったのですが、幼稚園に入園するほんの数日前に、家が全焼するという事件がありました。その日は父は外出しており、一軒家の2階で母と兄二人とで就寝していた深夜、母が異変に気付くと階段の下は火の海だったそうです。ベランダから紐のようなものをおろして、それにつかまって何とか逃げ出したとのことです。「小学生にもなっていない私をどうやって」と不思議に思いますが。その時の火事の光景はぼんやりと私の記憶にもあるのですが、それは多分後日話を聞いて後から作られた記憶なんだと思います。ただ、次の日の朝に現場に戻ると、全焼で何も残っていませんでしたが、大黒柱だけが焼け残っていて、すっと立っていた記憶は鮮明にあります。写真は火事のあとに移り住んだ長屋のようなぼろアパートでのクリスマスの風景です。

小学校時

小学校2年生の時に東京から埼玉県の三郷市に引越しました。三郷市は今は住みたい街にもあげられるようですが、その当時は本当に何にもないド田舎でした。私の家族の後に東京から引越してきた一家が、夏のウシガエルのモウモウという鳴き声に耐えられず、すぐに東京に戻っていったなんて話もありました。ただ、子供が育つには東京よりよい環境だったかもしれません。少年野球チームに入り、6年の時にキャプテンをやらしてもらいました。当時は三郷市だけで100を超える少年野球チームがあったと記憶しています(大げさかな?)。チームメイトに恵まれて、5年の秋と6年の春に優勝することができました。ただ、天狗になって、6年の夏と秋は早々に敗退してしまいました。最前列の真ん中が私です。

中学校時代

中学では野球を続けようか迷いましたが、坊主にすることがどうしても嫌で野球は断念し、バスケ部に所属しました。これまたチームメイトに恵まれて、三郷市では負けなしのチームでした。ただ、このチームも詰めがあまく、最後の大会は負けたことない中学校によもやの敗退を期してしまいました。賞状を持っているのが私です。遅刻ばかりしている生徒で、2年の終わりまではさして勉強もしていませんでした。が、3年になって東京金町の塾に通うようになると自分の勉強の遅れに愕然として、猛勉強するようになりました。人生で一番勉強した1年だったかもしれません。

高校時代

猛勉強の甲斐あって、一番志望だった埼玉県立浦和高等学校に合格し、入学しました。自宅から三郷駅まで自転車で30分、三郷駅から北浦和駅まで40分、北浦和から徒歩で15分、計1時間25分の通学はなかなかきつかったです。その当時は通勤ラッシュも半端なく、学校に着く頃にはへとへとでした。憧れた高校でしたが、男子校で浮いた話も皆無で、特に楽しいこともなく、家と学校を往復する日々。「こんなはずではなかった!何かを変えなければ!」ということで、運動部に入ることにしました。ただ、高校でバスケをやるほどうまくなく、野球に戻れるわけもなく、どうしたものかと思っていたところ、ラグビー部の存在を知り、ラグビーはほぼ全員が高校から始めるということと、浦和高校は県内でかなりの強豪で、花園も夢ではないということを知り入部を決めました。ラグビーで体を鍛えれば、通勤ラッシュも苦でなくなるのではないかという思いもありました。ラグビーは好きでしたが、日々の練習はきつく、菅平での夏の合宿は地獄のようでした。もう一度高校に戻ってラグビー部に入るかと問われれば、ちょっとやめとくという選択をするような気がします。ただ、戦友のような友達ができたことは人生の宝です。勉強は練習と通学で疲れ切って全然できず、高校卒業時は駿台予備校お茶の水校の試験にさえ落ちるほどに悲惨な状態になってました。

予備校・大学時代

予備校は駿台予備校池袋校に通いました。茨城県の茗溪学園のグループと仲良くなり、そこそこ楽しく過ごしました。あまり勉強する気になれず、学力は上がりませんでしたが、何とか立教大学にひっかかることができました。男子校から女子のいる夢のキャンパスライフとなるはずで、テニスサークルに入りましたがどうも馴染めず、大学に居場所がなくて、高校時代のチームメイトがいる早稲田大学のラグビーサークルで過ごす時間が多かったです。あまり面白くない大学生活ならいっそ資格をとろうという気になり、2年生の時から公認会計士を目指して大原に通い始めました。ここから暗黒時代の始まりです。簿記は一向に早くならず、経済はちんぷんかんぷんで、勉強をやってもやっても全然成績があがりません。ただ、予備校の費用を親に出してもらっていた手前もあって撤退する勇気も持てず、だらだらと3年間続けてしまいました。楽しさもお金も明日への希望もない日々。自分はもう人生の脱落者になってしまったので、天変地異が起って日本がひっくり返らないかなーと真剣に思ってました。大学を卒業した年の夏の試験は意地で1次試験は通りましたが、2次試験は当たり前のごとく箸にも棒にもかからず、そこでようやく断念しました。「このつらくむなしい3年間はなんだったのだろう?」とわんわんと声を出して泣きました。

社会人時代

公認会計士の試験を断念した後、お金がないのですぐに働き始めました。派遣社員として秋葉原のサトー無線で携帯電話の販売員をしました。当時は携帯電話の黎明期で連日飛ぶように売れました。1年半程度勤めました。その当時はWindowsの黎明期でもあり、Windows3.1から95に移るにあたり、秋葉原は一種の興奮状態になっていました。パソコンに将来性を感じて、IT系の会社に転職しました。転職先で仕事を教えてくれていた女性と結婚をし、男の子ふたりを授かりました。調布市と狛江市で4回引越しをしながら子育てをし、ふたりとも今は社会人です。長きにわたって、税理士の先生に会計ソフトを販売する営業職に従事しました。士業の先生がいつまでも現役で働いていることがうらやましく思い、宅建士と管理業務主任者と行政書士の資格を取り、現在に至っています。

番外編~オーストラリアクイーンズランド州親善試合遠征~

埼玉県とオーストラリアクイーンズランド州は姉妹提携しているのですが、高校3年生の時に遠征試合の企画があって、埼玉代表に選ばれてオーストラリアに行きました。私は埼玉代表に入れるほどラグビーがうまい訳ではありません。代表的な高校には選手枠が用意されていて、浦和高校枠として選ばれたという訳です。ただ、浦和高校で一番ラグビーがうまかったという訳でもなく、何で私が選ばれたのかは謎です。監督が選んだのだと思いますが、練習態度とか社交性とかそういった点を含めた総合的な選考だったのかもしれません。
その当時は北部の熊谷工業がめちゃくちゃ強くて、フォワードはほぼ熊谷工業の選手だったと記憶してます。バックスにも熊谷工業の堀越弟がいました。その他は、熊谷高校とか行田工業とか草加高校とかから1~2名選抜されていました。草加高校の選手は長年東芝でフルバックを務め、日本代表キャップ46を誇る松田努さんでした。当時、松田さんはみんなから「ジョン」と呼ばれていました。犬みたいに早いからというのが由来だと聞いたことがありますが、定かではありません。パーティで松田さんが、「オーストラリアの選手が俺のことをモンゴル人に似ているといってくすくす笑っている」と言って憤慨していた記憶があります。
さて、そんな遠征ですが、ホテルも食事も豪華で素晴らしいのですが、北部の選手に交じっていることがすこぶる居心地が悪く、どうしても少数派でグループを組んで何事もひっそり行動していました。
そんなこんだで初戦を迎えました。私は全く予想外にもウィングでスタメン出場です。「俺がスタメン?まじか、やばい!」と思いましたが、ピッチに立って、対面のウィングが身長190cmをゆうに越している選手だったのをみて、「別の意味で本当にやばい!」と震えました。
キックオフ直後に、スタンド、インサイドセンター、アウトサイドセンター、とパスが回り、私の手元にボールが来ました。大外に回っていたフルバックにパスをして、フルバックがキャッチしたのをみて安心した直後からブラックアウトです。気が付くとグランドのそとで、オーストラリア人が私の両肩を一所懸命にはめようとしていました。どうやら、パス直後に対面の190cmにタックルされて、脳震盪の上、両肩脱臼という状態になったようでした。
その後、両肩は容易に入らず、救急車で病院に搬送されました。病院ではランボーの警察所でのシーンさながらに、なぜか怒っている看護婦さんに高圧ホースで水を浴びせられました(これ冗談ではなくまじです)。その後、手術台に乗せられて全身麻酔です。
目が覚めると夜中なんですが、全身麻酔のせいで記憶が飛び、頭が混乱して状況が全く掴めません。ここがどこなのか?なぜ私はここで白衣を着て寝ているのか?全く分からず、狐につままれているよう。周りベットには西洋人っぽい人がいっぱい寝ていて、なんか日本ではない雰囲気だし、めちゃくちゃ喉が渇いていましたが、立って水道を探す勇気が湧きません。長い時間怯えて朝を待ちました。
朝になると帯同していた女性の通訳さんがきて、事情を説明してくれて、やっと記憶が戻りました。喉が渇きすぎるとほとんど一言も話せなくなるんだということも学びました。その日のうちに退院して、あとの遠征はビデオのカメラマンとして帯同しました。
いい思い出なのか、悪い思い出なのか微妙ですが、価値ある体験であったことは間違いありません。番外編でした。

趣味

■映画鑑賞
映画館で月2回程度 
<好きな映画>
◎グルバート・グレイブ ◎チェンジリング ◎バタフライ・エフェクト ◎ハドソン川の奇跡 
◎コーダあいのうた ◎トゥルー・ロマンス ◎フライド・グリーン・トマト ◎ゴーン・ガール ◎永遠の0 ◎レザボアドッグス ◎ディアハンター ◎カッコーの巣の上で ◎天気の子      ◎セブン ◎日本のいちばん長い日 ◎ライフ・オブ・デビット・ゲイル ◎愛と追憶の日々       ◎ベン・ハー ◎エンゼル・ハートなど ◎風と共に去りぬ(順不同) ◎羊たちの沈黙
■ラグビー観戦 大学ラグビー リーグワン(東芝ブレイブルーパス)
■野球観戦 プロ野球(阪神タイガース)
■ベンチプレス 昔は1回だけなら100Kg上がりました 今は90kg×1回、80Kg×10回程度です
■ランニング 50Km強歩2回完走 フルマラソン3回完走経験あり 今はほとんど走れてません🙅
■庭いじり・家庭菜園(トマトとかきゅうりとか簡単なもの)
■お祭り巡り(中央線沿線 浅草サンバカーニバル など)
■献血 2025年7月時点で108回達成しました
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